今月の法華宗行事予定(10.7〜10.13)
- 10.11
- ・高祖冬季御更衣会
【大本山鷲山寺】 - 10.12
- ・御会式
【大本山光長寺】 - ・御難会
【大本山鷲山寺】 - ・御会式(~13日)
【大本山本能寺】 - ・祖師講
【大本山本興寺】 - 10.13
- ・本山講
【大本山光長寺】 - ・十三日講
【大本山鷲山寺】
日蓮大聖人は安房の国(現在の千葉県)小湊にお生まれになる。父貫名重忠・母梅菊の子として御誕生になり、幼名を善日麿と名付けられた。
清澄山に登られ、名を薬王丸と改める。虚空蔵菩薩に「日本第一の智者とならしめ給え」と立願される。
出家して是聖房蓮長と名乗る。
当時の最高学府である比叡山で、仏教全般と諸宗の法門を研究される。次いで奈良の六宗、七大寺、高野山、四天王寺、また京都の寺を巡り諸宗を研鑽す。
ついに釈迦如来の教えは法華経にあると確信され、急ぎ清澄に戻られた。旭ヶ森にて初めて南無妙法蓮華経のお題目をお唱えになり、大衆を前に唱題開宗宣言をされる。名も日蓮と改める。
鎌倉の街頭にて辻説法される。お弟子を得た宗祖は、場所を松葉ヶ谷の草庵へと移して布教される。
世の混乱を憂えた宗祖は『立正安国論』を顕し、国家に対して正しい仏法による世情の安泰を進言された。 「汝早く信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善に帰せよ。しかればすなわち三界は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。十方はことごとく宝土なり、宝土何んぞ壊れんや、国に衰微なく土に破壊なくんば、身はこれ安全にして心はこれ禅定ならん。この詞、この言、信ずべく崇むべし。」 『立正安国論』
宗祖のお言葉に反発した幕府・念仏者によって、そのお命を狙われることとなる。ついには松葉ヶ谷ご草庵が焼き討ちされる。
松葉ヶ谷ご草庵の焼き討ちが失敗に終わった~伊豆へ流罪が決まる。しかも海の真ん中にある俎岩(まないたいわ)に置き去りにされてしまうが、船で通りかかった川奈の船守弥三郎に助けられる。そして弥三郎夫婦によって手厚くかくまわれる事となる。
小松原にて、地頭の東条景信をはじめとする数百人の念仏者によって襲撃を受ける。駆けつけた宗祖の信者である工藤吉隆と弟子数人が討たれてしまうが、宗祖は傷を負われながらも難を逃れた。
佐渡へと流される道の途中、竜の口に差し掛かる。すると急遽斬首の刑を行い、宗祖の命を絶たんとした。しかしまさに刀を振り下ろそうとしたその時に、江ノ島の方向より月のようなひかりが到来した。兵士たちは目もくらみ、恐れおののき、処刑は行われなくなってしまう。
宗祖は塚原の三昧堂という死骸置き場に置き去りにされてしまう。そこは一間四面の狭いお堂であり、壁板も合わずに隙間から雪が降り積もるありさまであった。 そんな中、念仏信者であった阿仏房は宗祖を襲撃するが、結局は夫婦揃って宗祖の信者となった。阿仏房はその後70歳で亡くなるまでの間、遠い佐渡の地より三度も身延の宗祖を尋ねている。
宗祖御自ら「一期の大事」とおおせられた『開目抄』は重要御書のひとつであり、宗祖が本当に「法華経の行者」であるのかという宗祖御自身と御弟子や御信者がた、あるいは当時の世間の人々からの大きな疑問にこたえる書物である。言い換えれば、誰が末法の人々を救う真の尊い指導者であるかを問うものである。
『観心本尊抄』は「日蓮当身の大事」とされた重要御書のひとつであり、末法の真の指導者が、人々を救う為にひろめるべき真の御本尊とは何かを明らかにされたものである。 その御本尊とは「本門八品上行所伝の南無妙法蓮華経」であり、これは末法の為に釈尊が上行菩薩に託された教えであって、この御本尊によってのみ、一切衆生は成仏できるのであると示されている。
「十二日さかわ、十三日たけのした、十四日くるまがえし、十五日ををみや、十六日なんぶ、十七日このところ・・・・」『富木殿御書』 「十三日竹の下」は現在の法華宗常唱院のある場所である。ここは後に宗祖が常陸の湯へ向かう途中、また入滅の後に御遺骨が身延へお帰りになる際の計三度御宿泊された場所であり、宗門の史跡に指定されている。
宗祖は恩師道善房の死のしらせを聞いたものの、御自身は身延を離れることが出来なかった。そこで使者を立てて清澄へ向かわせ、その墓前に『報恩抄』上下二巻を捧げられた。
建治元年のころより宗祖の病はいよいよすすみ、静養の為に身延より常陸の湯に向かうこととなる。しかし宗祖は、ついに池上にて御自身の入滅が近いことを悟られる。そこで日昭聖人・日朗聖人・日興聖人・日向聖人・日頂聖人・日持聖人を本弟子(六老僧)と定め、自らが果たせなかった帝都弘通を日像聖人(経一麿)に託し、10月13日辰の刻、ついに正法興隆にその心身を投げ打った61年の御生涯を静かに閉じられた。
「いま日蓮は去る建長五年四月二十八日より今年弘安三年十二月にいたるまで、二十八年が間また他事なし。ただ南無妙法蓮華経の七字五字を、日本国の一切衆生の口に入れんとはげむばかりなり。これすなわち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」
『諌暁八幡抄』