法華宗(本門流)の公式ページ。法華経に基づいて信心をすすめ、この世の中に真の幸福な世界を築くことを目的としています。

法華宗(本門流)

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Q&A

なぜお墓参りをするのでしょうか?
お仏壇に毎日お参りをしていますからお墓参りは別にしなくても、と言う方がおられますが、私達は亡くなりますと肉体と霊魂が遊離します。お位牌は霊魂の宿るところですし、お墓は肉体の安息所です。肉体を借りて生命を宿していたものですから、肉体は単なる物質ではなく尊い存在なのです。ですからお墓参りは仏壇にお参りするのと同様に大切なものです。
お墓参りする上の心得はなんですか?
お寺の境内等にあるお墓にお参りする時は必ず本堂の御本尊にお参りしましょう。お墓に着いたら初めに掃除をして下さい。お墓をきれいに掃除ができましたら供物や花、ロウソク、線香を供えてお参りします。宗祖日蓮大聖人のお言葉に「御はかにて自我偈一巻よませんとをもいてまいらせ候」(春之祝御書)とありますように、みんなでお経(法華経)を上げ、お題目を心行くまで唱えて下さい。境内墓地でしたらお上人に回向していただくとなおよろしいでしょう。お参りが終りましたら供物は持ち帰りましょう。そのままにしておきますと鳥等の餌となりお墓の周囲に撒き散らしご近所のお墓にご迷惑をかけます。また、できる限りゴミを出さないようお参りする前から心がけておきましょう。
尚、詳しくは地域やお寺の慣習などもありますので菩提寺のお上人にお聞きください。
法華経はどんなお経なのでしょうか?
「法華経」は、西暦前500年前後に、インドでお釈迦様が説かれた教えです。
お釈迦様のご入滅後に、約500人の弟子が集まりその教えをまとめました。「法華経」はその経典の一つです。「法華経」の一番初めの序品第一は「如是我聞(私はこのように聞きました)」と始まっています。

お釈迦様は35歳で悟りをお開きになり、80歳でご入滅なされるまでに、数多くの教えの中をお説きになりました。「法華経」はその数多くの教えの中でも、最後の8年間にお説きくださった、最高の教えなのです。

その後、シルクロードを通って数多くのお経が中国に伝わり、漢訳されます。
現在我々が読誦しているのは、正式名を「妙法蓮華経」という漢訳の「法華経」で、鳩摩羅什(350~409)によって漢訳されたものです。
「妙法蓮華経」は現存する漢訳本のなかでも、最も流布している漢訳です。

その後、5世紀前半に日本へと伝わってくるのです。
お会式について教えてください
10月13日は宗祖日蓮大聖人のご命日で、このご命日に営まれる法要を「お会式」と申します。
12日前夜にお会式お逮夜法要、13日にお会式ご正當法要があります。
桜の造花をお供えするのは、宗祖入滅の折には秋の終わりであったにもかかわらず、庭の桜の木や草花が、一斉に花を咲かせたとの伝承に由来しています。

お会式法要は、宗祖日蓮大聖人がおしめしくださった慈悲の心に対し、お題目を唱え、この恩に報いる為の法要です。 宗祖日蓮大聖人がお題目・南無妙法蓮華経を弘められた理由は、宗祖ご自身がお受けになった恩に報いる為(報恩)でした。生み育んでくれた父母に、法華経に導いてくださった師匠に、国土からの恵みに、そして生きとし生けるものすべてに対して恩を感じ、報いようとされたのです。

我々に人生の道しるべをお示しくださった宗祖日蓮大聖人のご命日に、報恩感謝の気持ちを持ってお寺にお参りして、お題目を唱えましょう。
お仏壇やお墓の修繕、建て替え、買い替えはどのようにしたらよいですか?
お仏壇やお墓の修繕や建て替え、買い替えを行う場合は、いきなり作業に取りかからないで下さい。
まずはお仏壇やお墓に、お題目をお唱えして、撥遣(はっけん)供養法要(お霊魂(たましい)抜き)を行う必要があります。お参りがすみましたら、お仏壇の場合はご本尊やお位牌などを、お墓の場合はご遺骨を移したうえで、修繕や建て替え、買い替えを行います。その後、お仏壇のご本尊やお位牌を安置し、お墓の場合はご遺骨を納め、開眼(かいげん)法要(お霊魂入れ)を行います。撥遣供養法要、開眼法要については菩提寺の住職にお願いして下さい。
お経の漢字の発音について教えてください。
漢字の発音には、漢音・呉音などがあります。
漢音は中国の唐代長安(今の西安)で使われていた発音です。遣唐使などが日本に伝え、主に儒教を中心に浸透していきました。例えば「成」を「セイ」と読むのは漢音です。
一方、呉音は中国の長江下流にある呉という国で使われていた発音です。中国へ留学した僧侶達が日本に伝え、主に仏教用語に用いられました。
同じ字で例えますと、「成」を「ジョウ」と読むのは呉音です。この為に、現在でも法華経をはじめ多くのお経は呉音で読まれているのです。
日々のお勤めで読むお経について教えてください。
法華宗がよりどころとしている経典は、法華経(妙法蓮華経)です。
日蓮大聖人が「一部八巻二十八品、六万九千三百八十四文字」とおっしゃられたとおり、法華経は二十八品(二十八章)からなる長いお経です。そのうち第十五から第二十二までの八品を、本門八品(本門八品要品)といいます。 この八品は最も重要な品であり、要となる章であるという意味で「要品」といわれるのです。 要品を全て読みあげるとかなり長くなります。「本門八品要品」から一部分を抜き出した、「広要品」「略要品」と呼ばれる読み方があります。日常のお参りでは、比較的短時間で読むことが出来る形として「略要品」が多く読まれます。
略要品とは、
『方便品第二』
『如来寿量品第十六』
『如来神力品第二十一』
を意味します。
略要品の方便品、如来寿量品、如来神力品においては、その品の全部ではなく、お自我偈などの一部分を読みます。
またお経を読みあげ、お題目を唱えた後には、此経難持(見宝塔品第十一の一部)、以要言之(如来神力品第二十一の一部)を読みあげます。
日蓮大聖人は、お自我偈のみの読誦(お経を読みあげる)を勧めておられる場合もあります。
法華経の1部だけを読むからといって、その意義において軽く考えるのは誤りです。

略要品のお経本については、当宗の僧侶にお尋ねください。
お経が読めません・・・。
日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」のお題目を「母乳」にたとえ、幼児が母の母乳をひたすら飲むように、一心にお題目を唱える事の意義を説かれています。
まずはお題目を唱える習慣をつけてみてはいかがでしょうか。
そしてその後に、少しずつでもお経を読んでみてください。
法号(戒名)の意味について、教えてください。
法華宗では法号を戒名ともいいます。戒名の戒とは仏教徒が必ず守らなければならない「戒律」のことですが、私たち法華宗では仏の教えのすべての功徳を納めているお題目をお唱えし、信心させていただくことが戒律を守ることになります。ですから、法号は法華宗に入信帰依されている人に授けられる名前で、法華宗信徒の証です。現在は葬儀の折に授与されるのが一般的で、生前に授与される事を「逆修」または「予修」といいます。

法号は、授与していただく菩提寺によって異なりますが、一般的に大人の方につけられる法号は、「○○院」の部分を院号といい、「日○」の部分を日号といいます。日号の「日」は宗祖日蓮大聖人のご尊名の「日」をいただくことでありますから、法華宗の篤い信仰に徹せられて大聖人から「日蓮が弟子檀那」と呼んでいただけるような方に授与される名です。女性には「妙」の文字も入れられます。日号をいただけるようなご信心をしたいものです。子供の場合は年齢によって ○○水子(すいし)、嬰児(ようじ)、嬰女(ようにょ)、孩子(がいし)、孩女(がいにょ)、童子(どうじ)、童女(どうにょ)などがあります。

法号は法華宗信徒の証ですから、何よりも本人の日頃の信仰が重視されます。菩提寺のお上人が、日々のご信心、菩提寺やご本山への参詣、ご奉仕などをご覧になり、それに加えてご先祖の法号や社会的貢献度、本人の趣味・特技などが勘案されて文字を選び、授与されます。法号の文字の多くは法華経や宗祖日蓮大聖人のご遺文などから選ばれて本人に最も相応しい法号となります。
檀家制度について教えてください。
檀家制度とは、江戸時代の1635~1638年頃に成立した制度で、檀家は一定の寺院に葬祭供養や墓地管理を頼む代わりにその寺院を護持するというものです。
これはキリシタンの排除や寺院勢力の固定化のために徳川幕府が強行した宗教政策です。幕府は全国寺院に対してキリシタンでない者には、住職がその身分を保証する寺請証文を提出するよう命じたのです。つまり、人々は必ず何処かの寺の檀家にならなければならず、檀家にならない者や檀家をはずされた者は、キリシタンのレッテルを貼られて処罰されることを意味します。
また、寺院側は一見安定した経済基盤を与えられたかのようですが、実は教線拡張は全くできない状況になってしまいました。このように、個人の信仰の選択は完全に無視され、寺院も布教できずに幕府の宗教政策に飲み込まれ盤石の体制として作り上げられたのです。
特に法華宗など外に向かっての布教を旨とする宗団は、著しく活動を制限されたといってもよいでしょう。

  この体制も法律的には、明治4年(1871)にいたって廃止されます。しかし、いまなお形態としては連綿と続いている現状ですが、信心に基づいた新しい寺檀関係を作るべきでありましょう。

法華宗の現状から寺檀の関係をいえば、日蓮大聖人の定められた御本尊を奉安し、その教えを布教する寺院と、その教えを遵守して信仰し所属する寺院の護持につとめる檀徒との関係といえます。
法華宗の教えは「一切衆生の成仏」にあります。日蓮大聖人によれば、成仏の種子は南無妙法蓮華経以外にないとされています。法華宗に改宗することは、『滅せぬ罪やあるべき、来たらぬさいわいやあるべき』で何の心配もありません。
親と子はどうあるべきでしょうか。
子が願う親の像とは、慈悲と慈愛に満ちている父母の姿でありましょう。
日蓮大聖人が「子に過ぎたる財(たから)なし」(『千日尼御返事』)と仰せのごとく、事実、子への愛情は慈愛に満ちて親に勝るものはありません。
けれども、ある一方では、溺愛・偏愛などの一方的な愛情で締めつけていないでしょうか。
子供の悪さを叱ることのできない親。また、子に過重な期待をかけ、受験本位に「ガリ勉」を強要している親。それは一流大学を経て、一流会社に入社させ、わが子の将来の保証を願う親心でもありましょう。

しかし、それがかえって愛する子供たちの心を傷つけていることや、「○○○しなさい」「○○○はだめだ」といって個人の自由を束縛することが家庭における「いじめ」とも考えられ、反省すべき点の一つです。
また、子供が親をばかにしたときは、そのことをきびしく叱責し、説き聞かせねばなりません。親が真剣になって言い聞かせることが一番効果があります。さもなければ、子は自分を育てるのに最も苦労した両親を敬愛できないままに成長してしまいます。

さて日蓮大聖人は、ご自身とご両親をたとえて「私の頭は、お父さま・お母さまの頭です。私の足は、お父さま・お母さまの足です。私の十の指は、お父さま・お母さまの指です。私の口は、お父さま・お母さまの口です。これを譬えるならば、種と実のごとくあり、また身と影のようです。」(『忘持経事』)とお説きになり、父母に対する恩を常に強調されました。

ご先祖をはじめとする親あっての私たちであり、子もいずれ親になることは間違いありません。親子がいつも仲良くいたわりあって生きていくことが、生命ある社会における親子のあり方といえましょう。
このことはいつの時代でも、人の世がいかに変化しても変わりありません。
お数珠について教えてください。
数珠は念珠ともいい、御本尊を表現しています。梵語ではハンマといい、バラモン教の中で使われていたものが仏教に取り入れられました。 仏・法・僧の三宝の御名を唱え・念ずる時に使う法具であり、またその念ずる回数を数える法具でもあります。

数珠の起こりについて、代表的な『木患子教』(もくげんしきょう)を引きますと、
ある時、釈尊がマダガ国の霊鷲山に住せられた時、ナンダ国のビルリ王に教えを請われた。
釈尊はお答えになり、「もし、諸苦の根本である貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろか)の三毒を滅しようとするならば、木患子百八つぶを糸に通してこれを常に所持し、仏・法・僧の三宝の名を唱えて一つ一つまぐりなさい。そうすれば必ず百八の煩悩を除いて、悟りの世界に至るでしょう。」と仰せられたいう事が、物語風に書かれています。

数珠の材料については、木患子の他に鉄・真珠・珊瑚・水晶・菩提子などが使われています。高価なものよりも安価なもののほうが功徳があると説く経・論もあるようですが、要するところは、信心の多い人程功徳があるのです。

それぞれの珠の名前は、
一、母珠(もじゅ)「おやだま」…達磨玉(法珠)ともいい、のばした時の両方にある大きな珠2個をいいます。緒の始終の結び目側の母珠は緒留珠(おとめだま)ともいいます。
二、記子珠(きしじゅ)「弟子玉」…母珠2個の中間108個と母珠の外側両端にある30個の珠をいいます。
三、四天珠(してんじゅ)「四菩薩珠」…記子珠の中間にあるやや小さめの4つの珠をいいます。
四、維摩珠(ゆいまたま)「浄名珠」…母珠の外にただ1つだけある珠です。
五、記子留(きしどめ)「徳利珠」…露ともいわれる徳利型の珠で、両端記子珠が落ちるのをふせぐ為の珠。
六、数取珠(かずとり)…緒留珠から出ている先の10個の珠をいいます。

数珠の持ち方は、まず右手に房2本の母珠を、左手には房3本の母珠を持ちます。両手で数珠を軽くのばして輪を一度ひねります。数珠の大きな輪がひねられて交差した状態で、母珠を中指にかけて合掌をします。これが当宗の数珠のかけ方です。

数珠には今まで説明した当宗で使うものと違う形の物もあります。わからない時は、当宗の僧侶へ気軽にお声かけください。
既述の通り、数珠は御本尊を顕す大切な法具です。直に床に置くようなことはせずに、信仰の対象の一つとして大切に扱うよう心がけましょう。
方位、吉凶等、占いについてどう考えるべきでしょうか?
人は誰でも幸せになりたい、そして、それがいつまでも続く事を願い、そのために未来を知りたいものです。しかしながら現代の目覚ましいまでの科学の進歩によって、人間の頭脳に近いコンピューターが開発されても、人間の不安や恐怖はなくなりません。従って私たちはそれを解決してくれそうなものを常に求めます。そこに方位・吉凶の占いがあります。
現在、朝のほとんどの番組を見れば必ずと言っていいほど今日の占いなどがあります。また駅の近くやデパートに座っている占い師の方々。まさに占いブームといってよいでしょう。このことは、科学が決して万能ではないことを示しており、益々占いがブームとして続くかもしれません。
科学を発展させている人間が、その科学に支配され、科学の発展に反比例するように不安や恐怖が増大していくのは、心理学や臨床学などが発展してきたとはいえ、人の行為や心の中をいまだ科学によって解明できないジレンマがあるからです。
占いは、いかにも人間の行為を含む宇宙の運行を完全に解明しているかのように言いますが、当たるも八卦、当たらぬも八卦であります。そして、これは人間の行為や努力といったものを否定するものであります。そこで日蓮大聖人は、このことについて、身の病気は科学で治せるが、心の病は御題目でなければ治せないとご教示されています。
その人の人生を支配しているのは、その人の心ですから、心を治す仏さま、仏法、即ち法華経による真の人生の幸せをつかみましょう。
春・秋の彼岸について教えてください。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われ、「春分の日」と「秋分の日」の前後一週間をお彼岸と申します。これは、日本特有の仏教行事で、古くは聖徳太子のころより朝廷で行われていたそうです。
今日でも、それぞれ国民の祝日に定められ、その内容は、春分の日は、自然をたたえ生物をいつくしむ日。秋分の日は、祖先をうやまい亡くなった人々を偲ぶ日とあります。単なるお休みではないのです。
あなたは、この目的にかなった迎え方をしていますでしょうか。
仏教では、この春秋二期の彼岸を仏道修行の一週間として、仏さま、ご先祖さまに対する供養と、自らの心身の修養を説いております。皆様方の菩提寺においてもお彼岸法要など種々の行事が行われております。お墓参りをしてご先祖に感謝し、お寺参りをして心の修行に精進してください。
この彼岸という言葉は、正しくは「到彼岸(とうひがん)」といい、古いインドの言葉でパーラミター(波羅蜜(はらみつ))といいます。すなわち、悩み・迷い・欲望の渦まく現実世界(此岸)から、迷いのない平安な世界(彼岸)へ到る、という意味です。
そこでお釈迦様は、私たちにこの彼岸へ到るための修行を六つに分けてお教え下さいました。

①〈布施(ふせ)〉自分のためでなく、相手のためにつくそう。
②〈持戒(じかい)〉行いを振り返り、規則正しくしよう。
③〈忍辱(にんにく)〉つらさに負けず、力づよく生きよう。
④〈精進(しょうじん)〉どんなことでも、一生けんめいしよう。
⑤〈禅定(ぜんじょう)〉身の回りを整え、静かに心をおちつけよう。
⑥〈智慧(ちえ)〉いのちを大切にして、考え深い人になろう。

これを六波羅蜜(六度)と言います。これらの六つは、一言で申せば、他を生かし他に生かされる修行ということです。これこそ、私たちが人間として生きていくうえでどうしても忘れてはならないことではないでしょうか。しかし、実行するとなると大変です。日頃、仕事に追われていますと、自分自身を振り返るということは難しいものです。
そこで、このお彼岸をご縁として、お墓参り・お寺参りをし、せめてこの一週間でもみんなの心が安穏になるよう、自らを振り返り、お互い励ましあって、お題目の修行に努めましょう。
お焼香の作法を教えて下さい 。
当宗の正式な御焼香は、抹香を3回献じます。
まず御自分の番となりましたら、次の方に軽く会釈をしつつお数珠を持って仏前へ進み出ます。
御宝前では僧侶が読経の途中でしょう。列席者の前に進んだら、導師へ向かって一礼します。この時に複数の僧侶が並んでいても、真ん中の導師にのみ一礼してください。
最近ではほとんどが立ち焼香になっています。焼香台が立ち焼香になっているならば、僧侶が座っている場合でも立ったままの一礼でかまいません。
導師へ向かって一礼したならば焼香台の前に進み、故人の御位牌・遺影を見て合掌し、仏前へ向かって一礼します。
次に右手の親指・人差し指・中指の3本で抹香をつまみ、お題目を唱えつつ額におし頂いた後、香炉の炭へ落とします。これを3回繰り返します。この3回は御本尊へ対する1回、御経へ献じる1回、諸精霊(故人・御先祖様)へ1回献じるものです。
ですが、会葬者が多い場合・時間の都合のある時などは、正式な焼香作法は時間のかかり過ぎるものでしょう。その時には、一掴みにした抹香を軽く額へ3回おし頂き、一度香炉に落とすだけでも結構です。
3度の焼香が終わったならば横へ退き、導師へ向かって一礼して下さい。後は遺族へ向かって一礼し自席へ戻ります。
御焼香は御自分の供養の念を献じるものです。作法の善し悪しよりも供養の心を大切にして、抹香を額におし頂いた際には皆さんの気持ちを込めていただく事が一番大切です。
七五三について 。
世間では、11月15日になると、七五三のお祝いといってこの日、3歳の男女5歳の男児、そして7歳の女児は新衣に着替えて、近所の氏神様へお宮参りをするならわしがあります。最近では、子供のお祝いというよりは自分たちの見栄とイベント的な要素が多くなり、わけもわからない子供に身動きもままならない衣装を着せて親もしないような化粧をほどこし、いやがる子供を引っ張って氏神様へ、あるいはあっちの神社のほうが人手が多いので見物人も多かろうと、繰り出していくミーハーな親も多くなってきました。
この七五三のお祝いというのは、もともと江戸時代、男女とも3歳になると、髪置の祝(担ぎ初めともいう)といって、初めて髪をのばして着物を着る式と、男児が5歳になると、袴着の祝いといって碁盤の上にその子をたたせて、初めて袴をはく式と、女児が7歳になると帯解き(帯締めともいう)の祝といって、初めて本裁の着物を着て、本式の丸帯をしめる式が、その都度、武家の間で行われ、それが次第に町民のあいだにひろまってきたことが始まりです。しかしながらその式をすることよりも、それらの子供のある家庭では、その日はきれいな衣服に着替えて、ご先祖様にわが子の成長を報告し、小豆ご飯を炊いて隣近所にくばり祝い膳をつくり家族で祝うことが今日行われている七五三の大切な意義なのです。
もっとも七五三の子供の晴着が、親たちの見栄からくるファッションショーの場となっては正式だろうがうそ式だろうが、出場回数が多いほど、また披露する場が多いほど、満足いくものになっているのが現状です。
流行や見栄にまどわされることなく、昔にたちかえり、わが子の成長を我が家のお仏壇に奉告し、気取らないこざっぱりとした外出着に着替えて子供にもきれいな服を着せて御先祖様のお墓やお寺にお参りしましょう。
受験勉強の心構えについて 。
昨今、一時に比べてはゆとり教育などにより、ゆるやかになったといいますが、学歴社会というものは相変わらず日本に根付いております。お隣の国韓国や中国においてもその格差は日本以上で、わが子の一生を左右するため暴動が起きるほどの過熱ぶりです。公立高校より私立の学校へ、そして高校卒業より大学卒業、地方の大学より都市の国立や私立の大学がよいとされている傾向が今も残っているのが現状です。実際そのような人たちが官僚や政治家になって国の政治や経済を動かし、法律を作り、私たちの生活を維持している現代において、その人たちの何パーセントが手を合わせ、お題目を唱えているだろうかと思うわけです。
日蓮大聖人は、当時の政治の中心である鎌倉幕府に対して立正安国論などを進覧して、お題目を唱えながら政治をしてほしいと願われたのであります。
すさまじい受験地獄で受験勉強に闘志を燃やす受験生が、その努力の甲斐あって希望する学校に入り蛍雪の功なって志望する職業についたとしても、もし、お題目を忘れ、仏教精神を忘れて仕事をしているとしたら地獄の獄卒のようであり、畜生のエコノミックアニマルであり、餓鬼の如き政権欲、出世欲にとりつかれ庶民を忘れた政治家になる恐れがあります。
有名な高校や大学を目指して、若いエネルギーをぶつけての受験勉強も大切ですが朝晩お仏壇での合掌礼拝唱題をわすれることのない、受験勉強であることを希望するしだいであります。また受験勉強生を抱えたご両親は、子供の身体健全と大願成就を祈念し、朝晩のお仏壇への勤経唱題行を忘れないよう心掛けましょう。
三具足、五具足について。
お花、お線香、お灯明を仏さまに供養することは、法華経の法師品に十種供養として説かれており、一般にも仏教信者の常識として行われています。ただそのお供えの仕方として、三具足(みつぐそく)、五具足(ごぐそく)があります。
本来は五具足が正式ですが、一般のご家庭の仏壇では、経机にお供えしていますから広いスペースは望めません。そこで五具足を略した三具足が行われています。中央に香炉(線香立て)、左に花瓶、右に燭台(ロウソク立て)の三個を一組にしたものです。
香(お線香)は、仏法僧の三宝に供養ということで三本を香炉の中央に垂直に立てます。略式では一本です。お線香は仏さまににおいで信を伝えるものですから、良いにおいのお線香をさし上げたいものです。
華(お花)は、仏さまにはつきもので、お釈迦さまのご誕生やご入滅にお花が咲いたとされ、日蓮大聖人のご誕生には蓮の花、ご臨終には桜の花が咲いた言われています。法華経でも空中からお華が降ってくる様子が書かれていますから、花供養は最もポピュラーで有難いものです。ですから出来るだけ生々とした生花をお供えし、枯れたり、しおれたりしていないか注意すべきです。なお、バラのようにとげのあるもの、椿のように首がそっくり落ちるものは避けた方が良いと言われています。
灯明(とうみょう)には、現在では燭台(しょくだい)にロウソクを点じますが、昔は油が用いられました。光は闇を除く、苦しみの多くは闇に譬えられ、特に菩薩のように「衆生の闇を除く」ことは何ものにも勝れて尊いことです。その光の根元として灯明を供養することは功徳の大きいことであります。ただ注意すべきことは、仏前で不作法に口で吹き消すことは厳禁です。線香の場合も同様ですので心がけていただきたいことです。
「地球の緑」をどう考えるべきでしょうか。
二十一世紀の人類共通の課題は地球環境の問題です。
日本は先進国の中で緑が国土の3分の2をしめるすばらしい国です。しかし、自然征服や欲望充足であるという考えに支えられた今世紀は地球破壊をもたらし、人間と自然、人間と環境のメカニズムを狂わしてしまい、人間もまた自然の一員であるとの自覚が失われてしまいました。
私たちが住むこの地球は、草木の生命(いのち)が息づいています。草や木は何も言わない、というのは人間の一方的な思い込みにすぎません。花は咲いて、生命を開き、風にのって生命をあちらこちらに運んでいます。
さて、『立正安国論』の冒頭に記されていますように、日蓮大聖人の時代にも自然の災害は後を絶ちませんでした。天災が起こったからといって、当時の人々は自然を敵のようには考えてませんでした。むしろ畏敬の念をもって自然と接したものです。人の心が悪くなり、よこしまになっているために、天は怒り、地は身をふるわせ、人の心の邪悪さに警鐘を鳴らしているのだ、と受けとめていました。日蓮大聖人の時代の人々のほうが、よほど自然と共生していたといえるでしょう。
私たちの大導師であられる日蓮大聖人は、いつも肌身離さずお釈迦さまの御尊像(木像)を持参しておられました。このお釈迦さまの木像も、草木の生命をいただいて造られたものです。草木の生命がお釈迦さまの木像という姿形となってあらわれ、草木に宿っている仏さまの生命と心が仏像に宿っているのです。
しかも、『法華経』で供養することによって、草木は単なる草木でなくなり、そこに魂が入って、仏さまの身と心を具えるのです。このように草木でさえも『法華経』の供養によって仏と成るのですと、日蓮大聖人は御指南されています。仏に成ることの種をもった地球の草木を大切にせず、人間のエゴと利欲や都合で自然を破壊すれば、自らの仏の種を摘んでしまったのと同じことと言えます。
今の時代、「自然との共生」。そう叫ばずにいられません。
大晦日から新年の迎え方は、どのようにすればよいのでしょうか?
大晦日は、その年の最後をしめくくる日でありますから、この一年をふり返っての反省と感謝をする大切な日であります。
家の内外の掃除を済ませ、正月準備が終れば、家族一同でお仏壇前に座り、諸仏諸天やご先祖様に一年の反省と感謝と御礼を申し上げたいものです。また、それまでに菩提寺やお墓へお参りをすることを忘れてはいけません。
一夜明けての正月は、新たにはじまる一年のスタートです、清め飾られたお仏壇に、家族一同が揃い、今年の無事安穏と個々の願いをかなえていただけるよう、努力精進する決意をお誓いし、ご守護を祈りましょう。そして、初詣では、菩提寺、ご先祖様のお墓へお参りするよう心がけて下さい。
日蓮大聖人も「正月の一日は日のはじめ、月の始め、年のはじめ、春の始め、」とか「正月一日より経を読みて、現世安穏後生善処と祈祷いたし」とお示しのように、大難が小難に、小難が無難にしていただくよう、法華経に始まり、法華経に終る一年にしたいものです。
回向と供養について説明してください。
回向とは「廻らし向かわしめる」という意味で、自分で積んだ善根の功徳を自らの悟りのために、或いは他の人に廻らし向けて、その人を助けることをいいます。ですから回向とは、生きている人のためにその幸せを祈るときは、ご祈願・ご祈念となり、死者のために祈るときは、追善供養となります。
次に供養とは、回向と同じ意味でよく使われますが、強いてその違いを説明いたしますと、三宝(仏・法・僧)、または死者の霊に諸の供養物を供え回向することです。法華経には「華(け)・香(こう)・瓔珞(ようらく)・・・・」と、供養の方法が、説かれております。
お仏壇の前に座って誰もがまっ先にすることは、お花をお供えし、お燈明をつけ、お線香をあげることでしょう。このようなことがすべて供養となるのです。
では、具体的に供養の方法を説明しますと、仏さまおよび祖霊に、「香食(こうじき)」という良い香りをお供えいたします。法事のときのお線香も、炊きたてのご飯もこの香食となります。つぎに「思食(しじき)」といって、私たちの心からの気持ちをお供えいたします。たとえ粗末なものでも本当に心から仏さまや祖霊にお供えしたものは、必ず届きます。そして一番ありがたいのは「法食(ほうじき)」といいまして、御経・お題目の声です。諸経第一の法華経を読誦し、本門八品上行所傳のお題目をお唱えすることによって、本当に尊い何よりの供養となるのです。
日蓮大聖人は十王讃嘆抄(じゅうおうさんたんしょう)に「孝養に三種あり。衣食(えじき)を施すを下品(げぼん)とし、父母の意(こころ)に違はざるを中品(ちゅうぼん)とし、功徳を回向するを上品(じょうぼん)とす。存生(ぞんしょう)の父母だになお功徳を回向するを上品とす。況や亡き親においておや。」 とご指南されています。初めの父母に衣食を差し上げるのは、普通一般の孝養です。次の父母のこころに従う事が中位の孝ですが、時によって父母に邪心不義があるような時は、これを諌めなければならないことはいうまでもありません。第三の功徳を回向する上品の孝養は、即ち一般に知られているところの、「身を立て道を行ひ、名を後世に掲げて以て、父母を顕すは孝の終(つい)なり。」(孝経)の意であります。
以上の上・中・下の三段階の孝養は俗世間などに説く孝養です。ところが、第四の「況や亡き親においておや」というのは、出世間即ち仏道における孝養です。
かくのごとく、日蓮大聖人は世間の孝養の上にさらに仏法の孝養を論じ、この仏法の孝養をもって上々品最上とせられたのです。
最後に、私たちも亡き父母への回向には、最高の功徳を納めている本門八品上行所傳の南無妙法蓮華経のお題目をお唱えし報恩感謝の供養につとめることが肝要です。
満月忌の(初参り)意味とは?
お宮参りは、生まれて初めて神社へお参りすることをいいます。初参りとか産士神参りなどの言い方もありましたが、これは神社の氏神に対して氏子入りするという意味を持っていました。
現在では氏子制度もなくなり、神社も法律的にそれを強制することが出来なくなり、人口の移動の激しさが産土神への奉告という意味を失わせてしまいました。したがってお宮参りの意味は、ただ赤ちゃんがしあわせに成長することを祈るだけであったり、形式的なものでしかありません。

  最近ではお宮参りとはいわずに初参りと言いい、お寺などにお参りして御本尊や御先祖の霊に報告するようになりました。

   このお宮参りは男女によって日が違います。土地の習慣にもよりますが、一般的には男児は生まれた日から数えて三十一日目、女児は三十三日目とされています。しかし日数にこだわらずに、盛夏や厳冬の時や降雨の日などは避け、赤ちゃんに配慮したよい日を選んであげてください。
その日には赤ちゃんに新衣を着せ、お父さんの側のお婆さんが抱いてお参りするのが習わしです。むかしは紋付姿のお姑さんが首からつるした帯で赤ちゃんを抱いて、お母さんも礼服を着てお参りしました。

  初参りの意味は御先祖の諸精霊への報告であり、元気な成長を祈る事です。
ただ習慣としてお宮へ参るのではなく、万善万行の功徳を総在している御題目を唱える『法華宗のお寺』へお参りし、また御先祖代々の霊が静かに集うお墓へお参りしましょう。
あらかじめお寺に連絡をしておけば、祝い着の紐に結びつけるお守りを準備してくれるでしょう。そして赤ちゃんの無事な成長を祈念してもらえる事でしょう。

   法華の信者はお宮参りでなく、初お寺参りをするよう心がけましょう。
塔婆をたてる意味を教えてください。
塔婆は卒塔婆ともいい、インドの言葉「ストゥーパ(仏塔)」の音訳です。
その起源は、お釈迦さまが亡くなられた時、そのお骨や灰などを収めたところに塔(仏塔)が建てられて、報恩供養された事にはじまります。
その後インドから中国、日本へと仏教が伝わると同時に伝えられた仏塔供養が、その形を変えてきました。

  現在の塔婆には、角塔婆・板塔婆・経木塔婆などがあり、法華経如来神力品第二十一の中に「起塔供養(塔をたてて供養すべし)」とあるように、先祖供養の代表的なものの一つとなっています。

  菩提寺での法要やご先祖様の年忌供養の際には、お塔婆をたてて供養しましょう。
法事の意味について教えてください。
人が死んで次の生を受けるまでの四十九日間を中陰といいます。その霊を初七日忌から七日毎に供養いたします。そして七回目の四十九日を満中陰といい、むすびの忌日法要を行います。
今生にてたとえ悪業を重ねた霊であっても、中陰法要を重ねることによってその功徳を得て、より良い世界に生まれ変わることが可能なのです。このことは『梵網経』に書き記されております。
中陰供養は、お釈迦様の時代のインドで既に行われていました。
満中陰(四十九日忌)までの間、亡くなった方の霊は行き先が定まらずにさまよっているといわれます。四十九日が過ぎると、死者は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)のいずれかの世界に生まれ変わるとされます。このために満中陰は忌み明けとも言われており、死者が六道を越えて仏なれるように祈って、特に盛大な法要を行って供養します。『源氏物語「夕顔」』にも「かの人の四十九日偲びて、比叡の法華堂にて、ことそがす(質素にせず)装束よりはじめてさるべきのども、こまかに誦経などせさせ給う。経仏の飾りまでおろそかならず」とあります。
次に百ケ日忌・一周忌・三回忌の法要は中国で行われ始め、それが日本に渡って先祖崇拝と結びつき、七回忌・三十三回忌と発展して現在に至っています。
こうしてお勤めする法要は、決して追善供養だけを目的としたものではありません。肉親の死を目前にした悲しみの中から、これを縁として信心の心を起こし、御報恩の念を抱き、一つ一つの貴重な仏縁の法要において、お釈迦様や日蓮大聖人のみ教えをよく聞き知ることが大切なのです。そうしてこそ、一つ一つの法要に本当の意味がうまれるのです。
なぜ、お会式になるとお祖師さまに綿帽子をかけるのですか?
秋のお彼岸が過ぎ、御会式が近づくとそれぞれのお寺の御宝前や家々のお仏壇におまつりされている家々のお祖師さまにお綿帽子をおかけします。ではいつ頃からそのようにおかけをするようになったでしょう。
弘長三年の(1263)二月、伊豆流罪を赦免され鎌倉に戻られた大聖人は、翌文永元年(1264)故郷房州のお母様の病気のお見舞いに安房の国に帰郷されていました。そしてお母様がよくなられると、11月11日、天津の工藤吉隆から招かれた大聖人は、日朗聖人、鏡忍房、乗観房そして義浄房らのお弟子十人ばかりを連れて向かわれました。そしてその館に向かわれる途中、東条の郷の松原大路にちょうどさしかかった時、その一帯の地頭だった東条景信に襲われたのです。
大聖人たちは、救援にかけつけた領主吉隆の加勢もあり、なんとか危機を脱しましたが、乱戦の中、吉隆と鏡忍房は亡くなられ、大聖人ご自身を眉間に三寸の傷を受けるほどの大怪我を負ってしまいました。
そして、傷の手当てを、と生き残ったお弟子たちが工藤家の館にお連れする途中、大聖人たちは一人の老婆に出会いました。、その傷をみた老婆はいたわしく思い、寒風を防がれるようにと自らの綿帽子をご供養されたのです。おそらくその後も大聖人は、冬が来るたびに寒さにその傷が痛み、綿帽子をお召しておられたのでしょう。そして、以来、私たちは大聖人の御尊像に、綿帽子をおかけし、大聖人がわずかでも寒さをしのがれますようにと、春のお彼岸までおかけしてお給仕しているのです。
合掌(がっしょう)・礼拝(らいはい)の意味と、正しい形式について教えてください。
古来から伝わるインドの敬礼法の一つである。「合掌・礼拝」は供養の一つで、この供養には身行(しんぎょう)・口行(くぎょう)・意行(いぎょう)の三業(さんごう)の供養があります。この三業供養の内「合掌・礼拝」は身業の供養にあたります。
この「合掌・礼拝」のことを『法華経・方便品』には、「合掌し敬心(ぎょうしん)を以て具足の道を聞きたてまつらんと欲す」とあり、また「或いは人ありて礼拝し或いは復但合掌し」と説かれています。
つまり、仏様や仏様の説かれた教えに対し至心(ししん)に尊敬(そんぎょう)・帰依する信心の心、これを南無といいますが、この南無する心を外に形に現したものが「合掌・礼拝」なのです。
ですから手を合わせてはいても、帰依する対象の仏様や仏様の教えと私たちとが対立し、2つである間は合掌していることにはなりません。私たちが仏様の慈悲や教えの功徳の中に摂せられ、私たちと仏様とが全く無対立の状態になるほどの、至心の信仰があってはじめて合掌となるのです。
そしてもちろん仏様やその教えに対してでなく私たちの中にも仏性(ぶっしょう)がそなわっているのですから、合掌の心でお互いを敬い日々の生活を送りたいものです。
合掌の形式はいろいろなものがありますが、当宗では虚心合掌(10本の指を軽く伸ばし手と手を自然に合わせる合掌)を用います。よく似た形に堅実心合掌(両手をまっすぐに堅く合わせた合掌)がありますので注意してください。
「居士衣、五条、手甲脚絆で団扇太鼓をたたいて」とありましたが、居士衣・五条・手甲脚絆とはなんですか?
●居士衣(こじえ) 法衣の一種で素絹(そけん)の別称です。(空衣(うつほ)・等身衣とも呼ばれる)
初期は白絹製で、衣の丈も等身でした。 しかし時代がたつにつれ色衣ができ、衣の丈も一身半と長いものが用いられるようになりました。ちなみに、衣の丈が等身のものを切素絹・切裳(きりも)、一身半のものを長素絹・長裳などと呼びます。

●五条(ごじょう) 御袈裟の一種です。 袈裟は福田衣(ふくでんね)とも呼ばれるように、分截し連縫した袈裟の布には田相と呼ばれる方形ができます。この方形の縦の線を条といい、条の数によって区別がされているのです。
ですから、今回の質問にあった五条の場合方形の縦の線が五つあるので五条と呼ばれるわけです。

●手甲(てっこう) 手の甲をおおう革や布のことです。

●脚絆(きゃはん) 作業や旅の時に、足の保護や疲れを防ぎ、動きやすいようにすねに巻いた布のことです。

●当宗は現在、托鉢(たくはつ)・行脚(あんぎゃ)の時などにこうした装束(しょうぞく)を用います。
 参考文献=佛教大辞典(小学館)、仏教辞典(岩波書店)、日蓮宗辞典(東京堂出版)、広辞苑(岩波書店)
地鎮式・上棟式はどのようにして行うのですか?
地鎮式とは、家・店舗・工場などを建築する前に、土地の供養を行う法要のことをいいます。地鎮式というと、神社の神主さんが行う儀式と思われがちですが、それは違います。法華経の教えでは、土地そのものが生命を持っているとされています。そしてその大地という生命体の上には、土地の神様・水の神様・火の神様・方位の神様を初め、その地所に住まわれていたご先祖さま方がおられます。そしてそれぞれの土地にご縁のある仏さま神さまに「この土地に住まわせていただきます。事業をさせていただきます」というご挨拶をします。この感謝の気持ちを持ってお題目を供養し、土地に生きる生命の成仏を祈ります。そうすることで、工事期間中も関係者に災難なく工事の無事が約束され、これから建設する建物が今後、地、水、火、風、雷などの災難に見舞われることがなくなります。地鎮式の方法としては、建設する土地の中央部に祭壇を組み、中心に曼荼羅ご本尊を安置し、花・香・お灯明などは仏壇のまつり方と同じにし、お供え物は塩・洗米・水・清酒・餅・山海のものを供えて下さい。また祭壇前の四方には青竹を葉つきのまま立て、しめ縄を張り巡らせ、四天王幡をかかげ結界を作ります。結果内には鍬入れ用の盛り土をしておきます。法要は導師の指示に従い、焼香の後、塩・洗米・水・清酒を導師・施主・施工責任者・設計士等の順で青竹の四隅にまき、清めます。鍬入れの順番も同様に行ってください。上棟式は、基礎工事が終わり、建物の棟木を上げる時に行います。その時棟札を使います。棟札は駒形の新しい板の表に曼荼羅ご本尊を、裏に地鎮起工式・上棟式の年月日、施主の名前、施工・設計の工事関係者の名を書き示します。法要中に導師・施主・工事関係者全員が焼香し、その後施工責任者が建物最上部の棟木に、曼荼羅ご本尊の書かれた棟板を打ち付けます。棟札は南無妙法蓮華経のご本尊の功徳により、建物への災害を防いでいただくだけでなく、家族の安全も見守っていただけることとなります。
日蓮大聖人もご信者の屋敷の新築に際し、棟札を書かれて法華経による火伏せ(火災除け)のご祈祷をなされています。皆様も菩提寺のお上人にお願いをして、お題目をもっておつとめ下さい。
お施餓鬼とはどのような法要ですか?
「施餓鬼」とは、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の一つ餓鬼道に堕ち、飢渇(ケカツ)に苦しむ亡者に飲食を施し、供養することをいいます。
中国から日本に伝来した『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼神呪経』によるとお釈迦様のお弟子である阿難尊者が焔口餓鬼に告げられて行ったのが始まりといわれ、餓鬼道に落ちて飢渇に苦しむ亡者を救うには、無数の餓鬼と婆羅門(修行僧)に施食することが説かれています。また『佛説盂蘭盆経』には同じくお釈迦様のお弟子、目連尊者が餓鬼道に堕ちた母を救うのに七世の父母に百味の飲食を供え、十方の聖僧に供養してもらった功徳により、我が母を救うことができたと述べられています。これらがお施餓鬼の始まりといわれています。人は死ねばすべて地獄、餓鬼に堕ちるものと信じていた人々にとって、親族や一族など縁のある者の餓鬼の苦しみを抜いてやりたいという気持ちは、盂蘭盆会、施餓鬼会として信仰されました。
それでは、私たちはお施餓鬼をどのように行えばよいのでしょう。お施餓鬼は、私たちの先祖や身内である有縁の精霊ばかりではなく、常々供養を受けることのできない無縁の精霊に対しても法華経をもって供養することが大切です。日頃より有縁無縁の精霊を合わせて供養するように心掛けたいと思います。また、具体的に無縁の精霊とは、家系が絶えたり、水死や交通事故死、自殺などで供養を受けていない霊をいいます。ですから、そのような精霊を施餓鬼をもって供養することがもっとも大切なのです。日蓮大聖人は施餓鬼について次のように述べられています。
「法華経第三に云く、如従飢国来乞遇大王膳云々。(ニョジュウケコクライコツグダイオウゼン)此文は中根の四大聲聞、醍醐の珍膳を音にもきかざりが、今経に来て始めて醍醐の味を飽くまでに嘗めて、昔し飢へたる心を忽ちにやめし事を説き給う文也。若し爾らば、餓鬼供養の時は此文を誦して南無妙法蓮華経と唱へてとびらひ給ふべく候」(四条金吾殿御書)
法華経の教えでは、お施餓鬼は、お盆だけに限らず常に有縁無縁の精霊に対して行う供養で、それを常施餓鬼と申します。そこで施餓鬼には「本門八品上行所伝のお題目」を絶えずお唱えして供養することが肝心です。
仏前結婚について教えてください。
お寺はお葬式や法事を営むところであり、おめでたい結婚式はホテルや結婚式場、または神社でという考え方が一般的になり、純白のウェディングドレスでバージンロードを歩き、チャペルで永遠の愛を誓うことに憧れている女性も多いようです。
結婚は人生の大きな節目であり、異なる環境で生まれ育った男女が、一つの新しい家庭を築き、末永く共に歩む人生の出発点です。二人は互いに尊敬し、どんな時も支え合う固い絆で結ばれて夫婦となります。そして子孫の繁栄を願い、新しい生命を育み、やがて父・母となってゆくのです。
私たちがこの世に生命を授かるのは、父・母、ご先祖さまのお陰です。また、数え切れない人の中から、たった一人の生涯の伴侶に巡り逢うことができるのは、仏さまのお導きによるものなのです。夫婦の縁というものは、今生だけのものではなく、遠い過去からの縁であり、未来へも繋がることに気付かねばなりません。
仏前での結婚式は法華宗の作法にのっとり、お寺や各家庭などで、御本尊を奉掲し僧侶が式長を勤め、仏祖三宝諸尊、両家のご先祖さまに結婚の感謝と報告をし、新郎新婦の守護をお祈りします。
式はお題目の三唱に始まり、式長が奉告文を奉読し、新郎新婦は式長より授訓、念珠の授与、授戒を受けます。そして読経の中献香し、指輪の交換、誓いの言葉を述べ、式長とともに三三九度の盃を交わします。その後、式長より正婚允可証の授与、訓戒を受け終了します。
今日、結婚の形態も様々になりつつありますが、夫婦を結ぶものは愛情だけではなく、ともに生きる喜びを感謝する、正しい信仰が必要となります。仏祖三宝諸尊、ご先祖さまに合掌しともにお題目を唱えることこそ、お題目をいただく法華信徒としての生き方なのです。
そして、夫婦となった二人の命を継ぎ、心を継ぐ新しい生命を授かったならば、その新しい生命の健やかなる成長を心がけねばなりません。父となり母となる幸せや愛子の発育を仏祖三宝諸尊、ご先祖さまに感謝し、御加護をいただくために菩提寺・教会にて安産のご祈願のお経をいただきましょう。また宗祖日蓮大聖人以来相承されているお守りや腹帯をいただき、父母ともにお題目を唱え、日々の信心に励みましょう。
お霊供膳について教えてください。
ご命日や法事、お盆、お彼岸などに、仏さまやご先祖さまにお供えするお膳のことを「霊供膳(りょうぐぜん)」といいます。木製のものやプラスチックのもの、色も朱塗りや黒塗りのものがあり、各々にふたのついた四種類の器と高坏、そしてお箸からなります。
お霊供膳の器の配置は、地方や習慣によっても異なっていますが、手前左の一番大きな「飯椀」にはご飯を盛り、その右のひとまわり小さい「汁椀」にはおすましかお味噌汁を。向こう側左の平らな「平皿(おひら)」には野菜の煮物を。その右の底の深い「壺(おつぼ)」には煮豆や和え物を。中央の高坏型の「猪口(ちょこ・いのくち)」には酢の物か香の物をお供えします。そして大切なことは、盛りつけた後にお膳を百八十度回して向きを変え、仏さまの方にお箸を向けてお供えします。
お膳の献立は精進料理になります。仏さまは、あらゆる命を慈しみ「不殺生」をお説きになられました。宗祖日蓮大聖人も「不殺生戒と申は一切の諸戒の中の第一也・・・三千世界に満る珍宝なれども命に替る事はなし」とまた「日蓮は魚鳥をも服せず」とお示しになられています。故に、魚・鳥・牛・豚などを一切用いず、だし汁も鰹節や煮干しではなく、昆布やしいたけから採ります。さらに、にら・にんにく・はじかみ・ねぎ・らっきょうなどの香りのきつい野菜も用いません。また、の野菜を用いたり、人参などを花の形に飾り切りするなど、見た目にも美しい心のこもったお膳をお供えするよう心がけましょう。
私たちが食事をいただき命をつないでいるように、お霊供膳は仏さまへの「飲食(おんじき)」の供養になります。お膳をお供えした後は、ご家族揃って南無妙法蓮華経のお題目をお唱えしましょう。

四大本山

  • 大本山 光長寺
  • 大本山 鷲山寺
  • 大本山 本能寺
  • 大本山 本興寺

今週の法華宗行事予定(3.17〜3.23)

3.17
・彼岸会入題目
【大本山光長寺】
・春季彼岸会(~23日)
【大本山鷲山寺】
・彼岸会入法要・永代祠堂法要
【大本山本能寺】
3.20
・彼岸会中日法要・永代祠堂法要
【大本山本能寺】
・春季彼岸会
【大本山本興寺】
3.23
・彼岸会結願法要・永代祠堂法要
【大本山本能寺】
  • 無上道
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